片手の生活

会う人それぞれに左手でよかったねと言われる。確かに。右利きなので字が書ける、

右手だとどうなるか。字がかけない。これは大きい。

片手だと出来ないこと。修理、部品を押さえてネジで取り付ける場合、出来ない。

服の着替えもしずらい。夏だからよかったが、Tシャツ着てズボンをはく、その際ちょっと苦労する、ウエストのフックに手間取る。靴下が履けない。これは数日で解決。工夫してはけるようになった。工夫は大事だ。

車の運転。オートマは、出来るが、マニュアル車は、ちょっと苦労するが、これも数日で慣れる。普段はマニュアルのトラック。シフトチェンジも最初はなかなかうまくいかないが、いろいろ工夫して左手でハンドルを押さえ、右手でシフトチェンジをしたり、だんだん慣れてくると、左手の小指にひっかけてシフトチェンジが出来たりする。

パソコン 、ほとんど問題なし。電話、メモしながらが難しい。特に携帯。
五体満足とは、「からだのどの部分にも欠け損じている部分がないこと。」とある。今まで左手は、ちょっと添えるだけだったが、それでも十分役に立っているし、添えることが出来ないだけで、かなりの影響が出る。ちょっと添えるだけだった左手の重要性を再認識。いまさらだ。不自由とは、普段は気づけないものだ。

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妖怪データベース

国際日本文化研究センターがこのほど妖怪をデーターベース

子供のころ、お盆は、海で泳いではいけない、カッパに内臓をとられてしまうからといわれて、お盆のころは、泳がなかった。人目も届かず事故にならないようにと昔からの言い伝えだ。子供心にまじめに守っていた。

お盆を過ぎると海も荒れだし、イラが出てチクチク刺されて痛いので、盆すぎはあまり泳がなかったように記憶している。

夏休みは、朝から夕方まで、自宅裏の湾でよく遊んだ。当時は、漁船も早くなく湾の向こう岸までの往復や海の上の陣取り合戦など 子供は自分たちでルールを作り新しい遊びを考えていく。懐かしい時代だ

帰ってきました

約6日間の入院生活から帰ってきました。
このサイト、また管理中のサイトをはじめ、関係者またご利用の皆様にもお詫び申し上げます。

帰ってきたとはいえまだ、片手しか使えず、しばらくは家でおとなしくしているつもりです。あくまでもつもりです。

どうしたのかって?骨折です。左手の「とうこつ」親指側の太いほうの手首側間接部分の骨折で手術となり金属プレートをいれたり、針金を突き刺さされてます。あわてもののやる怪我です。

骨折したのは土曜日。その日のうちに入院。あいにく手術は月曜しかやってないとかで、2日間は、ベットの上で過ごして、月曜に手術、わきの下に麻酔を打って左手の感覚がなくなってから開始。

先生の声が聞こえたり、振動が肩まで伝わる。1時間ほどで手術完了。完了した手を見てびっくり。ステンレスの棒が3本刺さっているではないか。焼き鳥をさすようなステンレスの棒ですよ。

合金のプレートを入れて残っていた骨にビスを捻じ込み、橈骨の先端は粉々だったようなので粘土のような物を骨にくっつけて、それにネジを捻じ込み、普通は骨折といえばギブスだと思っていたら、焼き鳥の櫛で固定とはびっくり。

関節だからかもしれない。

ことの顛末などは後ほど・・・・・

海水浴場水質良好

浜崎、東の浜、西の浜、相賀の浜、小友ともにふん便性大腸菌群数も不検出で、5海水浴場は特に良好AA判定と毎日新聞佐賀版にありました。きれいな唐津・呼子の海で泳ぎたくなりました。